マレーシア・ペナン島日記

マレーシアのペナン島での生活を通して見たこと、感じたことを発信します

旧正月にメディテーション

旧正月初日の2月10日午前7時。 職場の同僚の車でアパートメントを出発。 彼が誘ってくれたメディテーションに行くのだ。 メディテーション(meditation)は瞑想(めいそう)と訳されるが、日本でいえば座禅にあたる。

Penang Bodhi Heart Sanctuary

行先は、Penang Bodhi Heart Sanctuary。 日本語に訳すとペナン菩提心寺院とでもなるのだろうか。 sanctuaryは辞書を引くと「聖域(寺院、神殿、教会など)、至聖所、駆け込み寺、避難所、鳥獣保護施設、(心の)安らぎの場所」となっている。 寺院というとtempleが思い浮かぶ。 その違いを調べるのに、

What is the difference between sanctuary and temple?

とネット検索すると、英語の解説がかなり出てくる。 英語圏の人でも区別がしっかりつかないことがあるのかもしれない。 自分なりに解釈してみると、

  • sanctuary 人々を救済するための聖なる場所
  • temple その宗教における礼拝のための場所

ではないだろうか。 Penang Bodhi Heart Sanctuaryには、孤児院(親のいないこどもの保護施設)もあり、sanctuaryが救済の場であることが良く分かる。

旧正月のPenang Bodhi Heart Sanctuaryは瞑想の場

旧正月初日はたくさんの仏教徒、僧侶が集まってメディテーションを執り行っていた。 また、その間には無料で食べ物も振舞われていたし、参加者に聞くと、安価な宿泊所も備えられているそうだ。

サンクチュアリーの食事

この食事はミャンマー料理だそうだ。 参加しているお坊さんもミャンマーの方々だったので、おそらく旧正月メディテーションミャンマー人中心に行われたのだと思う。

メディテーションを50人くらいで行える集会所から、数人でやれる休憩所のようなところもある。 また、特別な個人的に行える小さな建物もあった。

瞑想のための小屋

この建物はお坊さんの修行のためのものらしい。 静かな森の中でひとりで瞑想する、まさに理想的な環境だ。 この建物の近くに白い仏像があった。

白い仏像

日本のでは石の像というとお地蔵さんのイメージがある。 それらは灰色の石で、白い石はほとんどないと思う。 この仏像には屋根があり、風雨を避けられるようになっていた。

このサンクチュアリーには小さな寺院もある。 そこにも白い仏像がある。 まわりの装飾はより豊かだ。

小さな寺院の仏像

仏像のわきにトラのぬいぐるみがある。 実はトラのぬいぐるみはサンクチュアリーのいたるところに置いてある。

トラのぬいぐるみ

その理由は宗教とは全く関係ないものだった。 この山にはたくさん猿がいる。 猿除けのためのトラなのだそうだ。 日本の田んぼにある案山子と同じ発想だ。 猿のDNAにはトラを危険だと認識する因子が埋め込まれていると地元の人が言う。 面白いな、と思った。

瞑想

さて、さっそく瞑想について女性の指導者から説明を受けた。 日本の座禅の修行では、心の乱れに対して肩を警策(木の棒)で叩くが、こちらのメディテーションにそれはない。 ただ、胡坐をかいて瞑想をすればよいのだ。 まずは1時間の瞑想を行う。

メディテーション

指導者の先生は目を閉じて瞑想をしながら、「hearing only, touching only」などと声に出して指導してくださる。 自分は背中や足が痛くなってきてしまい、全然集中できない。 心の乱れは、目を閉じている先生にもはっきりわかるようで、「ten minutes more. be patient(あと十分です、辛抱しましょう)」などと声掛けしてくれる。 ようやく1時間が過ぎてほっとした。 本来は瞑想のときにリラックスすべきが、終わった時の方がリラックスできた。 休憩をはさみ、2度目のメディテーションを1時間。 それでほぼ午前中が終わり、お昼をごちそうになった。

最後に冊子をいただいた。 ミャンマー語ビルマ語)と英語で書かれた手引書である。

手引書

全く瞑想にはならなかったが、それでも貴重な経験だったと思う。 自分はまだまだ悟りを開くには程遠いことがわかった。 今後は毎日十分ぐらいの短い時間でもよいからメディテーションしてみようと思う。

旧正月初日としては、なかなか意義ある一日だったと、ポジティブに考えよう。